艦の次は刀らしい [シェブロン県の話]
どっちかっていうとデータの方に萌えるタイプであるため、興味がないと言ったらウソになるけど手に出すつもりはさらさらない…某刀擬人化ゲーム。
まず、何より課金ありゲーじゃないか。いや、課金せずとも楽しめるには楽しめるらしいけど。
ブームになるのはいいことだ。それで歴史ジャンルが少しでもこう、盛り上がってくれれば歴史系に今身を置く私としては嬉しい。けど別にソレじゃなくてもいいw
*** *** ***
さてそれで刀ブーム的なものは果たしてくるのか。女子は男子の艦コレブームの様に実際の日本刀などを拝みたい、どういうものなのかもっと知りたい!という流れに乗ってこれるものなのか。どうなんだ?
無理なんじゃないのか(と、個人的には思っている)
無理言わないでブームが来たらいいよね!という事で 東北地方でありながら国宝級、重要文化財級の日本刀を多く所持する我らが荘内藩とかにもスポット当たるといいよね!
刀といえば、昔殿様ん家から(この場合の殿様とは、荘内藩の殿様を指しており今現在も日本で唯一殿様である『酒井』さんちである)日本刀盗み出した連中がいたらしいという話を、郷土本を読み漁る中で見たことがある。
私、地元にハマってはいるけど全部手を広げると大変なことになるため、今現在もある程度照準を絞っております。本間家関連を重点的に調べているため…このあたりの記事展開をよく覚えていない。
でも、日本刀が戦後没収され、捨てられ、鋳つぶされずに済んだ背景に本間家関係者が絡んでいるのは知っている。
そんな都合、そのうちこのあたりも調べていろいろ読んでみよう…とは思っていたけど大正・昭和の話になっちゃうので後回しにしているのよね…(あえて江戸中期から明治まで、と標準絞ってる)
今日はまたどうしてそんな話かというとですね。
明日の日付の荘内日報という、地方紙があるんですがこちらのトップにですね。
殿様ん家から盗まれていた重要文化財である日本刀が大阪で見つかった、というトップ記事だったからです。
ああそうそう、盗まれたらしいんだよね。それがここの所政府の文化庁の所在確認調査であれこれ騒がれていて…そして俗世でも刀剣ブームらしくて。
そういえば、鶴岡は国宝級の刀が二振りありますよねぇ。しかし国宝の日本刀は100振り近くあるそうで、まぁそう思えばたったの二振りと言えるのかもしれない。
ツイッターで回ってきたリンクで知って、最近つい読み込んでしまったサイトさん参照しています
こちらです http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/
面白いです
そこをいろいろ見てみるとへぇ、国宝だけど個人所有がほとんどなんだと驚く。
殿様ん家から29年も前に盗まれていた重要文化財の刀は『備州長船住元重』だそうで、なんでも見返り元重といわれるほど『切られた人が後ろを振り返るまで切られたことに気が付かない』程の業物だそうです。
件のサイトで得たにわか知識を振り回しますと、茎が折り返されている。
鎌倉時代の作という事なので、太刀だったものを刀としてええと、削るのなんていうんだっけ忘れたけど、こう太刀をビフォーアフターして短くして刀にしてしまう、というのがよくあるんだそうです。
そうしてしまうに鞘の中にある刀の『茎』に彫ってある銘が削れてしまうため、これを残すために折り返す場合があるそうだ。
写真で見ると見事に折り返してある。
そのうえ、忠篤(ただずみ 戊辰戦争時の酒井家藩主。当時めっちゃ若かった。個人的に通称ズミ)の名が彫ってある。
戊辰戦争の功績を評価して菅ちゃん(菅実秀 当時の藩士。スガではない。スゲである)に送ったけどいろいろあって殿様ん家に戻ってきたものなんだそうだ。
こう、刀って鞘に収まった状態で展示されていることが多くて、それはそれでいいんですが…
やっぱり刃の部分とか、銘とかも見たいよね…
致道館さんはいつか名刀分解展とかやりませんかね… 笑 本間美術館でもいい
*** *** ***
さてさてそう言う事で、後回しにしていましたが本間家がどのよーに日本刀に関わったか、ちゃんと資料手元にあるんだからもう一度読みましょう。
はい…平成に入っていろいろ問題も起こしていた日本美術刀剣保存協会の二代目会長を務めているのが本間順治さんですね。戦後まもなくの話です。
この方は戊辰戦争時、秋田遠征に行った服部弥惣の孫ですね。
服部さんは古刀鑑定において庄内地方で右に出るものがいなかったと語り継がれておるそうです。
服部さんは武士なのでもちろん鶴岡の人ですが、本間家の8代目光弥(かってに通称 みつやん)の妹が婿養子として服部家の次男を迎えている。そのため孫は本間の性となっているわけです。
(※ 庄内地方、もとい 荘内藩は殿様が住み、武士が集う『鶴岡』と 東北一の港を持つ自由都市『酒田』の二つの面を持っています。酒田にはもちろん商人が多い 本間家は都合武士だけど商人)
さて戊辰戦争後、つまり江戸時代が終わり明治となった世の話です。
たくさんの武士が武士じゃなくなったわけですが、何しろ戊辰戦争で一番最後まで戦っていたのが荘内藩です。殿様が今現在も残ってしまっている位、ぶっちゃけ超保守的な文化な訳ですよ。最後の武士の国といっても多分、過言ではないでしょう。ヘタに戊辰戦争で連戦連勝キメてしまってたり、他がすでに戦う国としての姿を失っている中で唯一ちゃんと武士が生きてて、いざ戦争になった時ちゃんと強かったっていう…。
しかもそれは時代錯誤なのではなく、ちゃんとその時の最先端を取り入れての強さだった。金の力は強いのねん…。
そんな荘内藩も大泉藩になっていたわけですが…それはさておき廃刀令が出て鶴岡の武士が持っていた刀は不要となり、また禄がなくなって帰農しなきゃならなくて、貧しさに耐え兼ねついに手放し様になってしまった。
どこに売るかっていうと商人の町、酒田に売りに出すわけだけど…威張り散らしていた武士と商人の軋轢なんかがありまして酒田商人、鶴岡の刀等を二束三文で買い叩いたそうだ。(まぁ、酒田に売りに来られても以後刀は誰も持たない時代だから不要の長物、値がつかないのは当然といえば当然なんだけど)
これは双方悪い処があるのでなんともいえないけれど、以後それで鶴岡酒田の仲が悪いなどと言われております。
この二束三文で買い叩かれた刀の中に、良いものがあるのと見抜いたのが鶴岡士族(武士)の服部弥惣。
そりゃぁあるだろうよ。
でもその当時、刀の良しあしというのは今の様に確立しているものではないから、銘品としての目利きとしての先見性として服部さんはすごいのだと思う。
そして服部さんは本間家(時代的に言えば6代目の本間光美だろう)に、良い刀は高く買い上げるように働きかけていたそうだ。光美といえば光丘再来といわれる人物で、都合早く隠居したけどご隠居様としてのパワーは計り知れない人です 笑
こういう事に極めて理解のある人だったので、進めを受けて二千振り以上の業物を集めたといいます。
…高値で買い取ったとに二千振り以上とかマジかと思うかもしれませんが 日本一の地主なめちゃいけません。そんくらい多分、余裕だったんでしょう…
これを眠らせておくのではなく、ちゃんと管理もしていたようです。これだけの刀をどうするつもりだったのか、その後戦争が起こって需要が出ることを予期していたというのなら光美の先見眼は三代目並というしかない。
光美がなくなり7代目光輝の一人息子、八代目光弥の時代を経て9代目光正の時代についに戦争が激化していくわけです。
まぁこの時政府へ向けた献金額が 藩時代の非じゃねぇったら 笑
剣刀の需要が高まり、本間家は集めた業物を提供することを決め、東京の三越でほしい人に かなりの格安で 譲った様だ。その売上金一万4千円程はそのまま陸軍に献納したそうである。
様だ、ではよくわからないから計算してみよう。
昭和12年ころの話の様なので…と、昭和12年の物価指数が見つからねぇ 笑 物価指数わからないと計算のしようがねぇなぁ…まぁいい、どんぶり勘定でいこう。
仕方がないので昭和初期頃の物価からかんがみるにざっと、この売上金を2万5千万円程としてみる。
それを、この時放出した刀剣が大体1000振り程という事で単純に割ってみよう。
一振りたったの2万5千円!!!
コスプレ用の模造刀かよ!!!!!
さっすが本間家ェ…… 売上上げるつもりなくて全部陸軍に献納した通りである…。
今じゃ一振り200万とかすんだろ…そのくらいの服部さんが見込んだ業物だよぅ…。
*** *** ***
とまぁこのように戦争によって散逸した日本刀。
戦後、GHQはこの日本刀をひっじょーにおそれまくった経緯があるそうです。とにかくこの謎の切れる恐ろしい刀を亡きものにしようと刀狩りを始めた。これにより失われた刀もまた数多いという。
それを、伝統ある作品、美術品として保護する活動をしたのが…服部さんの孫、本間順治さんというわけです。二代目会長になった通りであり、この人の働きがなければ今の日本刀は無かったくらいのレベルでは日本刀はひん死の憂き目にあっていたという。
一方でこの順治さんの弟さんは、本間家9代目が病死した都合後継人指定された祐介さんとのこと。
すげぇじゃん、結構関係してんじゃん…。なんか結構運動していた人だったよな、と思ってたけど結構どころじゃなかった 笑
第八軍憲兵指令官のキャドウェル大佐を説き伏せ、日本刀は怖いもんじゃないよ、すごいんですよ、きれいなんですよ、1000年近く昔のものなのに今も形を保っているんですよ、かつては命と同等の価値があったんですよ~、すごい希少なもので、そう簡単に作れるものじゃないんですよ~ 的に説き伏せた結果。
大佐を逆に愛刀家の一人にすることに成功。懐柔作戦大成!!!!
こうしてGHQによって赤羽に集められていたという多くの日本刀が鋳つぶされ、海に沈まずに済んだのだそうだ。
*** *** ***
今その日本美術刀剣保存会は内部腐敗が激しいらしい
…それで散逸した国宝級、重要文化財級も少なくないという事がこのたびの文化庁の調査で明るみに出ているわけですよね?
これを機にスポットライト浴びて、刀剣の、歴史の方にもスポットあたるといいな~いいなまじで~
まず、何より課金ありゲーじゃないか。いや、課金せずとも楽しめるには楽しめるらしいけど。
ブームになるのはいいことだ。それで歴史ジャンルが少しでもこう、盛り上がってくれれば歴史系に今身を置く私としては嬉しい。けど別にソレじゃなくてもいいw
*** *** ***
さてそれで刀ブーム的なものは果たしてくるのか。女子は男子の艦コレブームの様に実際の日本刀などを拝みたい、どういうものなのかもっと知りたい!という流れに乗ってこれるものなのか。どうなんだ?
無理なんじゃないのか(と、個人的には思っている)
無理言わないでブームが来たらいいよね!という事で 東北地方でありながら国宝級、重要文化財級の日本刀を多く所持する我らが荘内藩とかにもスポット当たるといいよね!
刀といえば、昔殿様ん家から(この場合の殿様とは、荘内藩の殿様を指しており今現在も日本で唯一殿様である『酒井』さんちである)日本刀盗み出した連中がいたらしいという話を、郷土本を読み漁る中で見たことがある。
私、地元にハマってはいるけど全部手を広げると大変なことになるため、今現在もある程度照準を絞っております。本間家関連を重点的に調べているため…このあたりの記事展開をよく覚えていない。
でも、日本刀が戦後没収され、捨てられ、鋳つぶされずに済んだ背景に本間家関係者が絡んでいるのは知っている。
そんな都合、そのうちこのあたりも調べていろいろ読んでみよう…とは思っていたけど大正・昭和の話になっちゃうので後回しにしているのよね…(あえて江戸中期から明治まで、と標準絞ってる)
今日はまたどうしてそんな話かというとですね。
明日の日付の荘内日報という、地方紙があるんですがこちらのトップにですね。
殿様ん家から盗まれていた重要文化財である日本刀が大阪で見つかった、というトップ記事だったからです。
ああそうそう、盗まれたらしいんだよね。それがここの所政府の文化庁の所在確認調査であれこれ騒がれていて…そして俗世でも刀剣ブームらしくて。
そういえば、鶴岡は国宝級の刀が二振りありますよねぇ。しかし国宝の日本刀は100振り近くあるそうで、まぁそう思えばたったの二振りと言えるのかもしれない。
ツイッターで回ってきたリンクで知って、最近つい読み込んでしまったサイトさん参照しています
こちらです http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/
面白いです
そこをいろいろ見てみるとへぇ、国宝だけど個人所有がほとんどなんだと驚く。
殿様ん家から29年も前に盗まれていた重要文化財の刀は『備州長船住元重』だそうで、なんでも見返り元重といわれるほど『切られた人が後ろを振り返るまで切られたことに気が付かない』程の業物だそうです。
件のサイトで得たにわか知識を振り回しますと、茎が折り返されている。
鎌倉時代の作という事なので、太刀だったものを刀としてええと、削るのなんていうんだっけ忘れたけど、こう太刀をビフォーアフターして短くして刀にしてしまう、というのがよくあるんだそうです。
そうしてしまうに鞘の中にある刀の『茎』に彫ってある銘が削れてしまうため、これを残すために折り返す場合があるそうだ。
写真で見ると見事に折り返してある。
そのうえ、忠篤(ただずみ 戊辰戦争時の酒井家藩主。当時めっちゃ若かった。個人的に通称ズミ)の名が彫ってある。
戊辰戦争の功績を評価して菅ちゃん(菅実秀 当時の藩士。スガではない。スゲである)に送ったけどいろいろあって殿様ん家に戻ってきたものなんだそうだ。
こう、刀って鞘に収まった状態で展示されていることが多くて、それはそれでいいんですが…
やっぱり刃の部分とか、銘とかも見たいよね…
致道館さんはいつか名刀分解展とかやりませんかね… 笑 本間美術館でもいい
*** *** ***
さてさてそう言う事で、後回しにしていましたが本間家がどのよーに日本刀に関わったか、ちゃんと資料手元にあるんだからもう一度読みましょう。
はい…平成に入っていろいろ問題も起こしていた日本美術刀剣保存協会の二代目会長を務めているのが本間順治さんですね。戦後まもなくの話です。
この方は戊辰戦争時、秋田遠征に行った服部弥惣の孫ですね。
服部さんは古刀鑑定において庄内地方で右に出るものがいなかったと語り継がれておるそうです。
服部さんは武士なのでもちろん鶴岡の人ですが、本間家の8代目光弥(かってに通称 みつやん)の妹が婿養子として服部家の次男を迎えている。そのため孫は本間の性となっているわけです。
(※ 庄内地方、もとい 荘内藩は殿様が住み、武士が集う『鶴岡』と 東北一の港を持つ自由都市『酒田』の二つの面を持っています。酒田にはもちろん商人が多い 本間家は都合武士だけど商人)
さて戊辰戦争後、つまり江戸時代が終わり明治となった世の話です。
たくさんの武士が武士じゃなくなったわけですが、何しろ戊辰戦争で一番最後まで戦っていたのが荘内藩です。殿様が今現在も残ってしまっている位、ぶっちゃけ超保守的な文化な訳ですよ。最後の武士の国といっても多分、過言ではないでしょう。ヘタに戊辰戦争で連戦連勝キメてしまってたり、他がすでに戦う国としての姿を失っている中で唯一ちゃんと武士が生きてて、いざ戦争になった時ちゃんと強かったっていう…。
しかもそれは時代錯誤なのではなく、ちゃんとその時の最先端を取り入れての強さだった。金の力は強いのねん…。
そんな荘内藩も大泉藩になっていたわけですが…それはさておき廃刀令が出て鶴岡の武士が持っていた刀は不要となり、また禄がなくなって帰農しなきゃならなくて、貧しさに耐え兼ねついに手放し様になってしまった。
どこに売るかっていうと商人の町、酒田に売りに出すわけだけど…威張り散らしていた武士と商人の軋轢なんかがありまして酒田商人、鶴岡の刀等を二束三文で買い叩いたそうだ。(まぁ、酒田に売りに来られても以後刀は誰も持たない時代だから不要の長物、値がつかないのは当然といえば当然なんだけど)
これは双方悪い処があるのでなんともいえないけれど、以後それで鶴岡酒田の仲が悪いなどと言われております。
この二束三文で買い叩かれた刀の中に、良いものがあるのと見抜いたのが鶴岡士族(武士)の服部弥惣。
そりゃぁあるだろうよ。
でもその当時、刀の良しあしというのは今の様に確立しているものではないから、銘品としての目利きとしての先見性として服部さんはすごいのだと思う。
そして服部さんは本間家(時代的に言えば6代目の本間光美だろう)に、良い刀は高く買い上げるように働きかけていたそうだ。光美といえば光丘再来といわれる人物で、都合早く隠居したけどご隠居様としてのパワーは計り知れない人です 笑
こういう事に極めて理解のある人だったので、進めを受けて二千振り以上の業物を集めたといいます。
…高値で買い取ったとに二千振り以上とかマジかと思うかもしれませんが 日本一の地主なめちゃいけません。そんくらい多分、余裕だったんでしょう…
これを眠らせておくのではなく、ちゃんと管理もしていたようです。これだけの刀をどうするつもりだったのか、その後戦争が起こって需要が出ることを予期していたというのなら光美の先見眼は三代目並というしかない。
光美がなくなり7代目光輝の一人息子、八代目光弥の時代を経て9代目光正の時代についに戦争が激化していくわけです。
まぁこの時政府へ向けた献金額が 藩時代の非じゃねぇったら 笑
剣刀の需要が高まり、本間家は集めた業物を提供することを決め、東京の三越でほしい人に かなりの格安で 譲った様だ。その売上金一万4千円程はそのまま陸軍に献納したそうである。
様だ、ではよくわからないから計算してみよう。
昭和12年ころの話の様なので…と、昭和12年の物価指数が見つからねぇ 笑 物価指数わからないと計算のしようがねぇなぁ…まぁいい、どんぶり勘定でいこう。
仕方がないので昭和初期頃の物価からかんがみるにざっと、この売上金を2万5千万円程としてみる。
それを、この時放出した刀剣が大体1000振り程という事で単純に割ってみよう。
一振りたったの2万5千円!!!
コスプレ用の模造刀かよ!!!!!
さっすが本間家ェ…… 売上上げるつもりなくて全部陸軍に献納した通りである…。
今じゃ一振り200万とかすんだろ…そのくらいの服部さんが見込んだ業物だよぅ…。
*** *** ***
とまぁこのように戦争によって散逸した日本刀。
戦後、GHQはこの日本刀をひっじょーにおそれまくった経緯があるそうです。とにかくこの謎の切れる恐ろしい刀を亡きものにしようと刀狩りを始めた。これにより失われた刀もまた数多いという。
それを、伝統ある作品、美術品として保護する活動をしたのが…服部さんの孫、本間順治さんというわけです。二代目会長になった通りであり、この人の働きがなければ今の日本刀は無かったくらいのレベルでは日本刀はひん死の憂き目にあっていたという。
一方でこの順治さんの弟さんは、本間家9代目が病死した都合後継人指定された祐介さんとのこと。
すげぇじゃん、結構関係してんじゃん…。なんか結構運動していた人だったよな、と思ってたけど結構どころじゃなかった 笑
第八軍憲兵指令官のキャドウェル大佐を説き伏せ、日本刀は怖いもんじゃないよ、すごいんですよ、きれいなんですよ、1000年近く昔のものなのに今も形を保っているんですよ、かつては命と同等の価値があったんですよ~、すごい希少なもので、そう簡単に作れるものじゃないんですよ~ 的に説き伏せた結果。
大佐を逆に愛刀家の一人にすることに成功。懐柔作戦大成!!!!
こうしてGHQによって赤羽に集められていたという多くの日本刀が鋳つぶされ、海に沈まずに済んだのだそうだ。
*** *** ***
今その日本美術刀剣保存会は内部腐敗が激しいらしい
…それで散逸した国宝級、重要文化財級も少なくないという事がこのたびの文化庁の調査で明るみに出ているわけですよね?
これを機にスポットライト浴びて、刀剣の、歴史の方にもスポットあたるといいな~いいなまじで~
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