数の正義 [本日の出来事]
ややガチ話。
その前に現状。今、仕事でDVDを書き込んでいる作業中なので少し逃避しに来ました★終わらん★
原稿ですか、原稿は10Pベタまで終了。あと残り18Pとデータ処理と …表紙(真っ白★)。SFなのにSFっぽくない話になったのは、SRPUなのにメカ系が一切出てこないからである。地上編だからしょーがないのだけどね。
今日までなんとかあと10Pはやっつけたいのぅ…無理かのぅ……orz
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逃避ついでに軽く、数の正義の話でも。
数というか数値の『正しい』か『正しくないか』の詭弁的な話。
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昼飯時に国会中継とかメシ所に設置してあったテレビで見たりするですよ。
で、こう…事前に調べた数値のパネルを出してくる政治家さんがいる。目に見える形、しかも視聴者が居る事を意識しての分かりやすい形にするところにどういう意味があるか、という事を…考えた事はあるでしょうか?
私は極めて斜め上から見る癖があるのでまず 『その数値どこまで正しいのよ?』から始まってしまう。
調査方法によっては数値なんてどうとでもなるし、ましてや二酸化炭素排出量とか、実際に人間の頭数を数えるのとは意味が違う、ただの統計推測学にすぎないもの、すなわち『仮想』をさも『事実』であるかのように主張している。
ただ、それは悪い事じゃない。
何かを論議したりするにあたり、基準となる数値がどうしても必要な事がある。
足がかりが無いと次には進めない事は往々にしてあるはずだ。
数学も未知の数値をXなり代入する事で次の問題への解の足がかりにするわけだし。
問題なのは それがあくまで仮想数値である事をそれぞれがわきまえておく事であり、
その仮想数値を持ち出してきた方もまたそれを把握した上で話を進めている事を理解しておく事であり、
その数値を批判する方もまた当てにならないという理論を押し付けるだけではなく『こういう数値もある』というラウンド意識を理解したうえで建設的な批判をするという事…
だと思う。
ところがどうだ、国会某中継でヘタに数字を持ち出したりすると『そいつぁどこまで正しいんだぜ?』的な下らん理論でひたすら水掛け論になる。
それを人は足の引っ張り合いという。
相手の意見をかたくなに、時にひどいことには『生理的嫌悪』で受け付けないとかね。
流石に政治家の皆さんにはそんな低次元な争いはしていただきたくはないのですがそれでも、政治家も人の子だ。
どーしょーもない。
(※生理的嫌悪… 理論なく、なんとなく、個人的感情や経験の都合 キライ って奴)
この どーしょーもない 問題を やれ国民性だの地域性だの、血液型属性だの家系の問題だの、親の顔が見てみたいだの学歴がどーだの あれこれ問題にしたり責任転嫁したりする方法論が多岐にわたる現代、もはやそれら回避のスペシャルカードを切ろうとすると今度は チート、あるいは野暮、KY、厨、などというトラップでもって無効化しようとする手段まで編み出されている。
ここは、おとなしく原点回帰して現在の、リアルな情報で勝負するしかあるまい。
つまり、 『これが正義だ!』と出された数値に対抗する場合は同じく別の調査基準により摘出された数値を出すのではなく(ようするに数値というのは調査基準とやらに準じてどーとでもなるものである事をご理解ください)
一先ずその数値にだまされて、対抗数値を出せないとするならおとなしく引き下がり、相手の意見を認めたうえでの論議をしてはどーなのか。
あと、まずはじめに数値ありき、ではじめるから『その数値はどこまで(以下略)』という問題をつつかれると思ったりもする。
もちろん、数字に出されると『理解しやすい』というのはよくわかる。
でもそれは理解しやすいという反面『とても騙しやすい』という意味でもある。(もちろん、とても騙されやすいという意味も込み)ここ、数値を出してくる方は小ざかしく事前に『仮』とか『約』とかなんとか抜け道万歳で提起してくるんだ。だというのに時に視聴者は『理解しやすい』という側面にすっかり足を取られてその数値はジャスティスだと思い込んでしまってる所がある。
恐らく、悪いのは視聴者なんだろう。
ようするに、騙される方が悪いと。
とはいえ騙されるのもまた悪い事じゃないと私は思う。時には
「ちぃ、よくやってくれたじゃねーか、おとなしく騙されてやんよ!」
的に潔く負けを認めてしまうのまた、悪くは無いと思ったりします。…これは個人的な事情かな。
騙されたくないなら自分で騙されないように防衛するしかないし、それでも騙されてしまったら
「ちっきしょーwwww」
みたいに照れ笑いしながら罠に掛かってみたり、あるいは
「つ、次は騙されないんだからねっ!」
的なツンデレ捨てゼリフを残してみたりして現状を受け止めていくとか。
いつまでも俺は騙されませんぞ、とかヘタな自尊心でガチガチになってるとイザ引っかかって転んだとき致命的なヒビが入る可能性があるので、私は柔軟な対応を推奨してみたりするのでありました。
政治家さんたちはもうちょっと軟体生物でもいいと思ったりもする。
でもにょろにょろグニャグニャしてると国民からは形が良く分からんと不信感を得てしまうようなので、このあたり柔らか加減はとても難しいのかもしれませんな。
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というわけで水掛け論とか、ニュース系で立派なパネルを出してこられるとひたすら失笑してしまう、
ひねくれた人のぼやきでしたん。
色々な数値はどこまで正義か、あるいは…信じてもいいものか、その数値の意味は何か。
考えて追求してみると脳内妄想のネタはつきません。
たとえば?アルコール0.00パーセントだとかいうビールの話とか。じゃぁもう少し小数点が小さい所ではアルコールは含まれるのだろうか?というか、そこまで小さな数値だとヘタするとフツーの料理とかからアルコール摘出されたりしないか?とか。そんな事をガチに話し合う事もある、昼休み。…うん、新聞とか無い店だとヒマだってのがバレバレ。
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