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ああまた開けてしまった [シェブロン県の話]

イイ感じに続けて埋め立てたはずなのに 汗笑


今日はちょっと、メモ程度に書くつもりですがそんな事いって長くなるんじゃないんですか?
まぁ、いつも見切り発車で構想もへったくれもなくダカダカ文章を打って埋める、それがここですから


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仕事は順調です。結構、天職かもしれない……(整理管理業務)
とはいえ、まだ過去の遺物たちを全部整理しきってないのでアレなんですが

今現在は秋のマツリ企画にてんてこまいしてます。おっと、やばい今日更新しないといけない用事思い出した……


小説投降は復旧しましたがエブリスタに移動してます。が、いま上記のマツリの都合修羅場中で更新は止まってます。とりあえず……落ち着くまで今は無理だな……

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 祭りの内訳は、まず刀剣乱舞の信濃藤四郎が例年通り荘内藩酒井家のお宝祭り(勝手に命名)で公開されているので、それの地元民が応援する庄内においでよ!的な活動の奴。
 わしはすでに三回くらい行きました(年パス会員)
 今回、2018年は藩租忠次公(忠次は庄内には来てません、京都で亡くなっております)の鎧が大修復を終えて十数年ぶりに公開された事を記念して、それにちなんだ展示になってます。凄い古いのめっちゃ集まってていいですよ、そのレポも書きたいとこなんですが、さて
 今回のウメタテは荘内藩がらみなのでとりあえず、とうらぶの信濃くんの件が一つ。


次が、お隣の県新潟で地方版コミティア、新潟コミティア通称ガタティアが開催されているのですが、
これが10月に50回目というアニバーサリーを迎えるのです。
で、ガタケット事務局さんはもうそちゃぁもう多忙そうなので、きっと50回記念で何か企画『やってよ』などと期待するのも失礼な話だしそんな『待ち』の状態で参加者たちはそれでいいのか!?
 といった感じから一人の勇者が『有志おいわい企画』を提唱、お祭りが勃発。
 基本祭りと云われたら踊らなければ損だと思っている(おい)私は軽くこの祭り実行委員会に協力を提示。
 と言う感じで裏で色々やってます。
 この裏で色々やってる活動が一件。


あとはあれだよ、もう10月に色んな行事が目白押しで、どうすりゃいいよおい!という。
高畠ワインまつりあるでしょ?東北ハムのオクトーバーフェスもある。実はちょっと、いやかなり……糸魚川の宝石の国展というか鉱物博物館に興味がある。ジョジョ展は残念ながらチケットが完全予約制で、取れなくて断念したが行く気マックスだった。
 あと、京都のかたな展がある。


*** *** ***


 そう、私は京都の刀展に行く気マックスである。
 その為、その段取りをしたところで、荘内の京都の縁所はどこであろう?という感じになりました。
そらそーよ、私今レキシ沼どっぷりですからね!!


 江戸時代、酒井左衛門尉家は結構な頻度で代役として上洛してるので
 京都屋敷は絶対あるだろ

 と思ったんですが
 ……見つけられない。京屋敷跡と云われる地名に残される大名屋敷の中に荘内藩、左衛門尉酒井家の名前はない……。

 いや、絶対あるのよ京屋敷。しょっちゅう行ってるから、京都。その記録は持ってるから、あとはどこ拠点にしてるかなんですが……。調べまくったけど出てこない。
 しかしだ、今調べて私が知る中で酒井左衛門尉が京で縁のある場所は思いつく限りふたつあるのだ。


 藩租酒井忠次関係だ。


 酒井忠次の墓所は京都知恩院で、酒井忠次が豊臣秀吉から貰って亡くなるまで暮らした屋敷が桜井屋敷。


 桜居屋敷の場所は、恐らく高確率で桜井井戸が屋敷内にあった事などから現在の
 上京区桜井町、桜井公園付近、八幡宮のあたりだろうと云われています。ちなみに、この八幡宮は源義経が奥羽に出発した所という事になってますが伝承によると色々あるようです。
 
 ……もしかして、この屋敷以来ずっと酒井家の屋敷なんじゃないの??

 そう思える根拠が一つある。
 荘内藩に、西陣織の技術者を京から呼んで絹織物を作らせたという記録があります。中興の祖、酒井忠徳の時の話なのでありえそうな話です。
(ちなみに幕末経て明治に藩士に開墾させて蚕を育て絹を生産したのとは時代の隔たりがありますが、菅さんが絹に目を付けて産業に乗せる土台はすでにあった事が伺えますね。ちなみに忠徳の時に最初に絹織をした家は、長山亭、まちなかキネマという映画館がある付近です。その後現在も稼働している工場は鶴岡市立図書館の近くにあります)
 上京区というとあちこちに西陣の名前が見える。実際、このあたりに西陣織を作っていた人たちが多く住んでいたというから記念館などもここにある通り。

 忠次から数えて9代目の忠徳の時代まで、もしかすると桜井屋敷を藩邸として使っていたのではないのか??


 これは結構ありえそうな話ではないのか?と私は思ったのだけど決定づける資料は今んところない。
 まぁ、そのうち探してみたいと思っている。


 と言う事で時間があったら桜井公園に足を運んでみるのもいいかもしれないなと思った火橋である。

 本間さんも京都付近には行ってるし、大体藩の用事だから藩邸目指すだろうしなー的な。



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