レギオン統率 [最近見た漫画か動画]
このところ、バクマンを読んでいるのはマンガとして面白い、からではないような気がするRHです。
別にそこを志しているわけではぜぇんぜんないんだけど、同じ『作る』フィールドについての作品(マンガ)である所にそういう感覚が絡むのかもしれない。
どうなのだろう、バクマンは面白いんだろうか?
マンガとして、一般人(それはマンガを描く職業とか、そういう趣味に無縁な人々を指す 今回限りアマチュアでも二次でもマンガ描ける人は除く)にはこのマンガ、面白いんだろうか?
…なんとなくその判断が私には(今回の例に限り一般を逸脱している)それが判断できないよーな気がする。
マンガ業界というには大げさすぎるながら、プロを垣間見る事も可能なアマチュア世界に一応身を置いてるっぽい都合、
一応これでマンガのうはう、的な事を知っている。
ただまぁ、知識として把握している事と実際作品に反映させる事は別だと思う。思うッ
というわけで今週の週刊跳躍と最近のバクマンについて。
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多分そのうち来るだろうおと思っていた展開が今、来てます。
来るだろうと思っていたから、なんとなくオチもわかっている。いや、外れる可能性も大にあるのだろうけれど…片足突っ込んでいるからか、なんなのか、バクマンの進行については大凡についてミステリ(読者の意表を突く)として『驚き』がない。
多分、それが私個人的にはこのマンガを『面白いもの』として読めてない都合だと思う。
アマチュアなれど その場合どうするか、あるいは、どうなるかってのが分かっている、あるいは一度考えて答えを出した事がある事の連続だったりするのだ。勿論、彼ら(登場人物)の目指す所とは天地あるいは天と地底くらいにレヴェルが違う事なのだけど、階層が違うだけで結局仕組みというものは大して変わらないと言う事なのかもしれない。
ゆえに、割と『当たり前』な展開が続くと思っている。
唯一ハラハラ読めるのは彼らのラブターンの方 笑 私がそっちを面白いと思っているとすると、もしかすると他の今回縛り『一般』はそのあたり(ラブターン)あんまり面白くないのかもしれない。どうなのだろうね?
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人間同士の駆け引きだって、あれはキャラ立てされていてその中のお約束(キャラクタとして基本的には裏切れない行動パターン)の内の話だからそこはバクマンに限って考える所じゃないと思われ。あのマンガだから際立っているとは思わない、むしろ週刊飛翔らしいナイスキャラ立て!という事なのだろうと。
あ、そう考えると私的には週刊飛翔では『キャラ立て』がしっかりしていてそれを読者に理解出来るマンガが作られていないと読めない、あるいはついていけないマンガになるのかもしれない。いや、週刊雑誌とか日曜日だとこの限りじゃないよーな気がするもので、あと…勝利はそういうとこ顕著な気がする。キャラ立ってなくても勢いで全然イケてしまうマンガが多すぎて好きすぎる。
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で、今レギオン統率体が出てきました(仮称)
一見最強に見えるわけで、論理に破たんなど無いように思えますが 現在の日本の『文化』としてのマンガ描きとしちゃタブーというよりももはや、それはマンガじゃない、という事になるんだと思う。
理由については今後じっくり解説してくれるはずだと思っている 笑
集団統率を取る事程難しい事は無い。人間、基本的には団体行動をしたがる生物だというのに 笑
契約として『二人』で『一つのペンネーム』という主人公らとの一つの対比として今、レギオン体が出てきたのだろう。今回のレギオン君は残念ながら契約上の集団代表ではなく、あくまで勝手に頭を名乗り出た散会しやすいもろい集合体でしかない。
その集合体(レギオン)がレギオンとして良い作品を作っていく、それで成功する場合もあるけれど(例はいちいち挙げないのよ わかっていると思うw)基本的には難しいと言う事をアマチュア世界で『サークル』という概念をよく知っている人は以下略だろう。
でも多分そう言う事(すなわち上手く行く事)にはならないだろう。
なぜなら彼らはプロ扱いでの話であり、プロであると言う事は報酬が発生すると言う事であって、それを公平に分配するための契約が人間には必要であるからだ。この場合報酬とは金に限ったものではない。だから、厄介なのだと思う。
金じゃない報酬が絡んだ状況ですでに様々なトラブルが起きている事を知っているどーじん者にとっては今さらwな話だろうとも思うんだ。
それが具体的に何なのかは、そりゃアマ世界の狭い論理の話だからここではしないんだぜ
また、良い所だけを集めて作った合作が一番いい作品になる理論。
それをアリにすると作者というものを消し去る事になるだろう。
作者というものが存在すると言う事は、ままその作風に偏りがあると言う事であり、同時にそれが『その作品の良さ』であるという事。ようするに作者=作風であって、それが全く定まらない作品や、作品群には作風もへったくれもない事になるに違いない。
同時に、作風とは個性とも受け取れ、最終的に一つの価値のある作品になるのだと思う。
レギオン体を構成する者が契約などにより常に『定まっている』場合はこの『価値』が生まれるのかもしれないけれど(たとえばそれは旧日の出の矢タテさんとか)
常に構成員が入れ替わり立ち替わりで不定形である場合、作者をどこまでと定める事が出来ない。そういうものに芸術性を与える場合、もちろんレギオン全体にその功績が与えられるのではなくレギオン統率体にだけその名誉が与えられることとなる。
(ちなみに芸術性とか価値とかいうものは、わかりやすい意味におきかえると『人気』とか『得票』とかいうもの)
で、はたしてそういう扱いになる事をレギオン構成員のみなさんは納得するか否かという事です。
構成員のみなさんがどういう実力のある人かを見ただけでどーなるのかは、ねぇ。
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ジャパニーズマンガはクール!
と、言われているらしいけれど。その前にまず、良いものを売れるものを!という作品作りの前に、作者の作風がありらしさがあり、そこに芸術性すら見いだせるからこそ、だと思う。
そういうものが生まれ出たのは、売れる為なら人気の為なら、面白さの為ならと作者の個性を消さなかった『日本のマンガ文化』(確かにそれは今、古いと評価する者もいるのかもしれない)だからこそだと思ったりする。
きっとばくまんさんはそう言う事を今後はやってくれるんじゃないかと結構期待してる。
とりあえず、失望するような展開は今まで一度もなかったので 笑
だから読んでいてすっきりはするかもなー だよねー っていう感じ。
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